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12-09.net :三十路の会社員が日々の仕事と家庭と趣味と子育てに追われまくるブログ



ベトナム日記・その4【ベトナム人マネジメントにおいて、大切なこと。】

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(以下、ベトナムに限らず、非日本人すべてに対して言えることですが)

良く色んなインタビューやオフショア関連記事を読むと、「ベトナム人は真面目だがシャイだ」「ベトナム人は創意工夫が苦手だ」等の「人種分析」が書かれています。基本的には文化的・社会的背景を根拠に、実体験を含めて書かれているものも多く、明らかに内容的に間違っているものはないでしょう。その通りだと思います(たまにとんでもない内容もありますが・・・)。

が、それらはあくまで「印象」の「分析」でしかありません。メディアやジャーナリスト、コンサルタントがこのように「分析」するのは良いでしょう。それが彼らの仕事ですし、閲覧者としてもそこから得られる有益な情報は少なくありません。

ぼくはベトナムで会社を立ち上げてから1年半、「まだ」一年半の若輩者ではありますが、現地で社長仲間と飲んだり話したりする度に、良く同様の印象分析的議論になることがあります。「ウチの従業員は言うことを聞かない」「ウチのはおとなしすぎて積極性がない」といった具合に。そのうちに話はエスカレートし、視点は拡大し、「ベトナム論」「ベトナム人論」に発展していきます。「ベトナム人って、こうだよね」「そもそもベトナムというのはこんな国だよね」なんて、いつの間にか皆、神の視座から物事を語り始めます。

これはまあ、半分真面目、半分ストレス発散みたいなもので、ぼくもそれなりに参加するのですが、その一方で違和感を抱え続けていたことも事実です。

「本当にそういうことなのだろうか・・・??」
「ベトナムって、ベトナム人って、そういうものなのか??」

違和感に対する答えはすぐには見つからず、どうも釈然としない気持ちを抱えながら今に至っているのですが、最近なんとなく自分なりの答えが見えてきたような気がします。

ベトナム人にも、色んな人がいます。
明るい人も暗い人も、対人関係が得意な人もそうでない人も。積極的に物事にあたる人もいれば、日和見主義の人だっています。人によって違うのです。日本人がそうであるように。勿論、国民固有の特性みたいなものはあるでしょう。しかし、それにしても、人によって特徴は様々です。

まあこれは当たり前の話です。

問題はここからです。

「どこの国にも色んな人がいる」というのが現実だとしても、異国においては、そのキャラクターの違いをしっかりと把握することは、とても困難と言えます。

例えば日本であれば、仕事中の何気ない会話、ランチの時の雑談、飲み会でのよりプライベートに踏み込んだ情報交換、、、などを通じて、その人の性格やタイプは理解できますし、個人のことが理解できれば、その集合としての組織内の関係性を類推することはそんなに難しくありません。
例えば引っ込み思案なA君がどうやら社内で少しのけ者にされてるらしい、それがストレスになって仕事のパフォーマンスにも影響しているようだ、といったことは、大体分かりますし、適宜フォローもできるわけです。

異国(特に非英語圏)では、それが難しい。
日常的な例を挙げると、仕事中にオフィス内で交わされるベトナム語の会話を、ぼくはほとんど理解できません。小耳に挟んだ情報や雰囲気でもって、個人の立ち位置やモチベーション、人間関係をはかることは、不可能と言って良いほど難しいです。

さらに例を挙げましょう。
「ベトナム人はキャリアパスに関するイメージが乏しい」というのは、多くのベトナム現法経営者にとって頷ける印象でしょう。
「ベトナム人は基本”できない”と言わず、”大丈夫です、問題ない”と言って、失敗することが多い」というのも同様かもしれません。

ただし、これらの印象について、ぼく達のような外国人マネジメントは、「各メンバーレベルにおいて、本当にその印象通りなのか」を確かめ、把握する術を持たない場合がほとんどです。
スタッフの言葉は、コミュニケーターの通訳というフィルタを経てしか、ぼく達の耳には届きませんし、おそらくその過程で様々な付帯情報が欠損してしまっていることでしょう。細かいニュアンス・温度感・控えめに隠された意思のようなものが。

すると、ある程度集団に対する印象で物事を判断せざるを得なくなります。普通に考えるとね。

ここに落とし穴があるような気が、最近しているのです。

多分、おそらく、もしかすると、その「集団に対する印象」は必ずしも正しくなく、そのためにいつも少しずれた意思決定をしてしまってるように思えてならないのです。
特にベトナムにおいては、その傾向が強いと感じます。日本人に非常に近い部分を持つベトナム人相手だからこそ、「伝わらない枝葉の部分」に何かとても大切なものが含まれているような気がしています。

とは言え現実には、実際言葉も分からない中で、一人一人の個性を正確に認識することはできません。現実的ではない。
ぼくにできることは、ついつい大きな印象に従って意思決定したくなる気持ちに歯止めをかけて、言葉の問題を超えて、できる限り実際の個人と個人の集合としての組織そのものを注視し続けることであり、これは一見些細なことのように見えますが、とても大切だと感じています。

まとめましょう。

コンサルタントやアナリストではない、現地でマネジメントするぼく達は、決して「全体としての印象」をベースにして個別意思決定を行なってはいけません。異国人のマネジメントは、実はそこがキモであり、丁寧な人間観察とこまめなone to oneコミュニケーションによって個人個人の特性を「本当の意味で」掴むことでしか、組織のブレイクスルーは望めないのです。



※「お前がベトナム語をマスターすれば済む話だろ!」というツッコミは華麗にスルーさせて頂きます。



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Written by poissonvolant

8月 2nd, 2013 at 5:04 pm

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