ぼくは今、ベトナム・ホーチミンシティでWeb/Smartphoneのオフショア開発会社を経営しています。
スタートしてもうすぐ2ヶ月が経ちます。
2ヶ月経った所感としては、まさに山あり谷あり、気苦労と悩みの日々の中でもがきながら、しかし確かに将来の可能性を実感しつつある、といったところです。
一番の苦労は、やはり「人」です。
同じ人間とは言え、異文化で人格形成されてきたメンバー達相手に、日本人相手とまったく同じやり方は、当然ながら通じません。
【月イチ社内懇親会にて・・・】
在ベトナム日系企業の経営者間で良く言われることでもありますが、ぼくが実感的に抱くベトナム人の特徴は、ざっと以下のようなものです。
・非常に真面目
・子供のように純朴
・ぼくなんかよりずっと頭が良い
・指示された仕事をこなすのは得意だが、自分の頭で周辺状況や前後関係を考えて柔軟に対応することが苦手
・給与の多寡でジョブホップするが、決して金だけではなく、夢や目標、可能性を重視する傾向がある
・見栄っ張りでプライドが高い
・総じて、全体的な経験に欠ける
頭が良い、というのは、ほとんどの従業員がトップクラス大学(院)を卒業しており、2つ以上の大学に編入している人も少なくないことからも類推できます。多分、みんな地頭は相当良いと言えるでしょう。
その上少々お固く感じられるくらい真面目(もちろん個人差はあります)なので、吸収力と成長力には目を見張るものがあります。
純朴さ故の可愛げもたっぷりで、共に働く仲間として、とてもやりやすいと感じています。
一方で、彼らと彼らを取り巻く環境はまだとても若く、とにかく経験がない人が多いです。
ここで言う経験とは、単純にスキルの面だけでなく、「社会人として」「労働者として」といった全般的な”前提条件”に関する経験を含みます。
生活における”前提条件”を考える時、当然ながら文化の違いに起因する場合がほとんどで、仕方がない部分でもあるのですが、そういったカルチャーギャップを差し引いても、絶対的な経験不足というのを痛感することが実に多く、これはかなりやっかいです。
また、真面目で純朴な性格の裏返しとも言えますが、視野が狭いように感じる場面が多々あります。
こちらが意図を持って具体的な指示をしても、それを「自分が一番良いと思う方法」に勝手に置きかえてしまい、結果求めていたアウトプットが出ず、二度手間になってしまう場面が頻繁に見られます。
例えばあるミッションが課せられた時、多くの日本企業では「それについて自分が持っている知識」を考慮しつつ、他の可能性も調査し、課題やリスクをある程度潰した上でアウトプットを出すことが求められます。
ベトナムのスタッフは、多くの場合、単に自分の知識や考えのみでアウトプットを出します。
そうして提示されたアウトプットは、当然ながら指示した方が満足する出来栄えになっておらず、今度は「何故このやり方が不適切なのか、こちらが求めているものは何なのか」という”仕事のやり方”的な部分から説明を繰り返すことになり、いたずらに時間だけが過ぎてしまうわけです。
マネジメントの経験がある人には、こういったロスがどれだけ痛いか、お分かり頂けると思います。
上記のような問題は、何も難解なミッションに限った話ではなく、日常の小さな雑務においても度々発生します。
以上の特徴は、とにかく日々の業務における「スムーズな業務の進行」に少なくない影響を及ぼします。一つ一つは些細なコミュニケーションミスとも言えますが、塵も積もれば・・・的に経営にもボディーブローのようにダメージを与えます。
おそらくベトナムに限ったことではないですが、オフショア企業が成功するためには、「初動の教育」がキモだと痛感しています。
コミュニケーションの方法、指示の意味合い、クリティカルポイントの共有、役割の認識、、、など、日本だと「分かっていて当然」と思われる細部に至るまで、細かく丁寧に伝達・確認を行うことが必須です。
(※ここで言う「初動」とは、主に「起業後の初動」「個別ミッション発生時の初動」など複数の意味合いを持ちます)
つまり、ポイントは「いとも簡単に起こってしまう様々なロス」をいかに潰せるか、にあると言えます。
「視野の狭さ」は、ビジネスパーソンとしてのコミットメント面にも見られます。
例えば、チームであたるべきプロジェクトがあった時、そのチームとして責任を持つべきは「依頼された期間内に、依頼された内容のものを、然るべきクオリティで納品する」ことです。
実務上ではタスクをブレイクダウンして役割分担を行うわけですが、結果として、チームからクライアントへ「完成物の納品」という形で責任を果たせねば意味がありません。その点においては、個々の役割分担は、大きな責任の元に存在しており、個々人もその認識を持つべきです。
「自分がやるべき(とされている)ことをやっているからそれで良い」わけではありません。逆に、少し乱暴な言い方をすると、大きな責任さえ果たすことができれば、個別のプロセスは何だって良いくらいです。大きな責任を認識しているからこそ、助けあいも生まれます。
しかしながら、ぼくが出会ったベトナムのスタッフには、どうも上記の「大きな責任」に関する自覚が欠如しているように思えます。
スケジュールに悪い意味でこだわりがなかったり、全体進捗に関して理解・認識しようとしなかったり。問題発生時、客観的に物事をとらえてクールにロジカルに状況を分析し、解決方法を考えるべき時に「いかにそれが自分のせいでないか」ばかりをとうとうと語ったり。
結果ぼく達日本人スタッフが血相を変えて駆け回ることになります。とほほ。
何だかベトナム人の悪口を書いてるみたいになってきましたが、断じてそういった意図はありません。
むしろ、問題が上記のような内容であるからこそ、逆にぼくは希望を感じさえします。
何故なら、上記の問題はすべて「経験不足」という単純な原因から来るものであり、解決可能なことばかりだからです。
彼らはただ、「まだ知らない」だけなのです。一片の悪気もなく。
・共通認識がなければ、何度でも説明すればいい。
・仕事の仕方が違うのであれば、教えればいい。
・責任とは何か、行動をもって示せばいい。
悪人を矯正させるのは難しいですが、知らない人に教えることは容易いです。(理屈では、という意味です。実際はなかなか大変だけどね・・・)
繰り返しになりますが、彼らは地頭が良く、真面目で、斜に構えることを知りません。
さらに「知らないことを知る」ことに貪欲です。
自分達の住む国の成長を信じているから、自分達も成長しなければという「自己コミットメント」を持っています。
そんな彼らが黙々とPCに向かっている背中を見ていると、ぼくは本心から希望に溢れた未来を夢見ずにはおれません。
自然とこみ上げる笑みを噛み殺しながら、異国でチャレンジできる醍醐味と僥倖を感じます。
勿論教えるだけでなく彼らから教わることも少なくないのですが、それはまた別のエントリにて。