FBより転載。
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皆様、温かい誕生日コメント、どうもありがとうございます。
39歳になり、とうとう40代に王手です。40代って。お父さんの年齢やないか。まあお父さんやけども。
さて、ベトナムに来て1年と5ヶ月が経とうとしています。まだまだひよっ子ですが、3ヶ月前にとうとう家族も連れてきて、簡単には帰れないな、と一応背水の陣的に真摯な気持ちでいます。背水の陣、とかいっちょ前なことを言いましたが、ベトナムで働いてると言っても、自己資金で独立系企業を経営されている社長の方々とは異なり(彼らは本当に素晴らしい、掛け値なしの尊敬対象です)、親会社100%出資の甘ちゃん駐在でしかありません。約1年半を振り返っても、ただ「誰でもできるような仕事」を「誰でもできるようなクオリティ」で運営してきただけで、何も胸を張ることなどありません。いやほんま、ベトナムでのコストセンター子会社経営なんて、誰でもできるで、マジで。まあせめて「サボらず甘えずプロ意識を持って一生懸命」にやってきたくらいですかね。個人の成長についても、自分では良く分かりません。評価も「他人が下すもの」ですしね。過信することもないし、自信喪失することもない。何とも不思議でニュートラルな精神状態が続いてます。動じなくなった、ということなのかな。。。
今現在の心地としては、実はとても複雑な心境で、様々な価値観が同居し、確たる自分自身を持てないような感じです。ベトナム人と日本人、異文化について、個人主義と全体主義、戦争に勝った文化と負けた文化、労働の意味、プロフェッショナリズムの形、大好きな日本と不思議なベトナム、規律と自由、主張と従順、清潔と不潔、などなど、色んな「事象」と「それに対する分析的思考」が心中で常にカオスの様相を呈しており、その状況を楽しむでもなく、かと言って性急にそれらを整理して答えを出したい気持ちでもなく、混沌とした浮遊感にただただ身を任せている、といった状態です。
あらゆることに関して「正しい答え」なんてどこにもないのだと思います。世界中に人がいて、生活があり、「行動」がもたらした「結果」が積み上がってそれぞれの人生を紡ぎます。
時間をかけずに理解した気になることは簡単です。が、本当の理解には、とてもとても長い時間がかかるものだと思います。もしかしたら、目指すべき地点になど、たどり着けないかもしれない。すなわち「理解」とか「解釈」するのではなく、「観察」しながら日々全力で「思考」し続けるしかないのが、「異国で働く」ということなのかもしれないなあ、なんて感じてたりする今日此の頃です。
とは言え、ただ流されるような生活は好きじゃないし、性に合いません。「自分にしかできない」とまでは風呂敷広げませんが、「自分だからできる」仕事を、いつかしてみたいものです。40代を目前に控えたこの一年、少しでもその一歩を踏み出せればいいなあ、とあくまで緩く考えながら、公私充実を目指して日々子育てに勤しむ所存です。
皆様におかれましては、何卒今年も一緒に飲んだくれ、毎度先に寝入るぼくを生暖かく見守って頂ければ幸いです。恐惶謹厳。